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「合格、おめでとう」 にっこりと笑った僕の前で、少年は頭をきっちりと下げる。 「有難うございます。先生のお蔭です。」 この春に、佐野明良は某私立大学の医学部に合格した。この1年半というもの、僕は彼の 家庭教師として、最良の結果を引き出すべく努力を重ねてきた。 「大丈夫だよ、君の実力が出せたってことさ」 明良の好みは甘いものだ。彼の珈琲にはいつも、通いの家政婦がチョコレートシロップ など入れて、折角の豆の味を台無しにしてしまっている。 この部屋に、チョコレートはない。甘いものは嫌いだ。 とはいえ、飲んでもらうためには多少工夫が必要なわけで。 「……どうぞ」 差し出された珈琲から立ち上る、ナッツの香ばしい香りに、明良は首を傾げる。 「アーモンド・シロップだよ。おいしいよ」 わざわざ、足を運んで買ってきた。まだ耐えられる香りと思えたから。 にこ、と顔が綻ぶ。甘いシロップに、甘い笑顔。甘い親子関係、甘い見識。 「戴きます」 僕は、ブラックのまま自分の珈琲を啜る。とびきりの苦さが、口の中を洗う。 これが、現実だ。苦い努力を重ねて、そうして、その極みで。 「嬉しいな。先生のお部屋にも来たかったけど、父が、きちんと受験を終わらないで、遊び に行ったら駄目って、許してくれなかったんです」 人の数倍の成果を、本当の甘さを、僕は手中に出来る。 明良の父親は、息子の受験の2年前に妻をなくした。経営者としての辣腕だけは持ってい た男は、息子の教育に手を抜くことはしたくなく、さりとて腕の良い医者であった妻の残し た病院を疎かにも出来ず、一つの選択を強いられた。 確実に息子を一流の医学部に入らせるだけの家庭教師を、息子につけること。 妙な野心や色気を出した連中はあっと言う間に父親の手で葬り去られた。一切要求を吊り上 げもせず、ただ勉強に邁進させ、息子を安全圏に送り込むことだけを使命とするような家庭 教師が、理想とされた。 金だけの、綺麗な関係と言うわけだ。将来の院長様に唾をつけたい連中はごまんといる。 その中で、僕は踏みとどまった。 目標とする大学の医学生。将来の先輩。成績にも、友人関係にも、佐野の目は光ったようだ が、派遣元の家庭教師センターが太鼓判を押す実力に、太刀打ちできるものはなかった。 去年の、春。センターの一室で。 「困りましたね、佐野さん。彼は、他にも現在声がかかっておりましてね。3ヶ月、交替の 人員が見つかるまでとの契約だったでしょう」 所長自らが、受話器を取って明良の父親と会話している。 「優秀なのでね、引きは多いのですよ。彼自身も、今時珍しいくらい勉強熱心で。あなたの 要求の高さに、答えられる人間はそう多くはありませんがね。有体に言えば、息子さんの件 で、折角の経歴に傷をつけたくはないのですよ。大体、肩に手を置いた程度のことで、何人 首にしてくれました?」 スピーカーをそっとオンにして、所長はこちらを見る。 僕はポーカーフェイスを保ったまま、答えに耳を澄ます。 『……息子が、加納君は違うと言っている。勉強が捗ると、あの先生ならと言うのだ』 確かに僕は、勉強や、少年の興味の持てそうな会話以外の接触をしていない。 そう。彼の将来占める地位は、確かに魅力ではあるだろう。しかし、今すぐに得られると いう保証はないのだ。合格しなければ。上に上らねば。 より可能性の高い相手を、配するに如くはない。 「専属は、しないと言っているのですがね、彼は。責任感も強いし、あと二人……」 『後50パーセント、……いや、倍、出そう。息子がやる気になってくれているのだ。そち らにも相応のお礼をする。頼む、』 「一時の利より、実を好む人柄なのですがね、彼は。……そこまで仰るのなら、一度話して はみましょうか」 スピーカーは再びオフになり、数語の会話の後電話は切られた。所長が僕に向き直る。 「さて。……あちらはこう仰っている。どうするね?」 この男も、決して目先だけの利益には飛びつかない。だから、僕らはうまくやっている。 自然と笑みが浮かぶ。 「僕は、実を取りますよ。より、大きな成果が欲しいもので。ご同様でしょう?」 ゆっくりと、こちらも辣腕の経営者が、頷いた。 取り止めのない会話をするうちに、少年は寝入ってしまった。 日は未だ高い。父親が迎えに来るとしても、異変に気づくにも、時間はたっぷりとある。 そうっと、抱き上げて隣室へ運んだ。余りの軽さに、甘いラインに、いっそ呆れ果てる。 薄いセーター、きっちりとボタンを嵌めたシャツ。すらりとした脚が包まれた制服の野暮った いズボン。 真っ白い、靴下。順々に取り去り、丁寧に畳む。 身を守るものは、……薄い白い布地一枚だけ。 薄い色の肌、若さで引き締まった腹筋、淡い淡い色の胸の突起。傷を負わせないように両腕 を着古したシャツで縛る。微かなうめき。それさえも、安寧のみを知る甘い声でしかない。 薬の効果は、思ったとおりの時間だけ出てくれたようだ。 腹筋から下に手を伸ばし、ゆるりと布地ごしに撫で上げた。不可思議な刺激に、うっすら と少年の瞼が開く。 「……せん……」 何時もどおりの笑み。この笑みを、一人っ子の彼は頼もしく縋れるものと見ていた。一瞬、 安堵を浮かべかけた体が、甘い眠りから、寒いまでの現実に引きずり戻される。 あっという間に。 拘束された身体。剥き出しの、脚。うっすらと朱の色が顔に走る。 「先生?何?これ?」 慌てて動こうとしても、緩慢に身を捩ることしか出来ない。その間にも、僕の手が撫で擦る 部分は、今まで知らされたことのない刺激に、本能の部分だけで反応し始めている。 ついて行かないのは、稚い心だけ。蜂蜜よりも甘ったるいのは、どうも戴けない。 もう、砂糖でまぶされた生活は、終わりにしなければならない。 「……いやっ!止めてっ!」 「明良くん。医学部に入るのだから、自分の身体のことぐらい知っておかないとね」 全く、『先生』の口調で言う僕に、言葉をなくして少年は視線だけで縋った。 「大丈夫。痛いことはないよ。恥ずかしいだろうから、僕がしてあげないとならないけど」 本能だけで、現実を見失って、後ずさりする身体。抑えこむのは、そう難しくはなかった。 呆気ない。つまらないくらいの、現実。そう、甘くはない。まだ大した成果を上げていない。 苦い努力にも、限界はある。だからほんの少し、休むのだ。僅かな休息をもらって、また前に 進む。……そうして、明良も前に進ませてきた。 今日は、僕が休む番だ。明良の倍以上、努力を重ねてきたのだから。 「……剥いてないね?これだけ少し、痛いかな」 声は冷静なまま。どこかで努力を続けていないと、自分を甘やかす。 まだ休憩時間。ほんの少し、区切りの間だけ味わう、安堵の一時。 本当に甘やかなその時間が欲しくて、僕は全てに努力する。 真っ白な布地の、一点に染みが出来ている。そこを摘んで、まだ被ったままの部分を、布ごし に刺激すると、悲鳴と涙が、初めて甘い彼の顔を崩した。 「ちょっとだけだよ、明良くん。きちんと、ここを剥いておかないと、将来困るよ?」 「しょ……らい、って……」 あくまで生真面目な口調に、少年は怯む。何も知らない、知らされていない。両親の溺愛を 当然のものとして、その醜さを知らずに来た、偽りの清純さ。 布地をずらし、本当の姿を引きずり出す。皮を被ったままの、彼の本性は、可愛らしい。 きちんと、自分も牡なのだと主張している。現実に添って、大人になろうとしている。 「病気になるんだよ。このままだと。ゆっくり、綺麗にしてあげようね」 そこへと唇を被せて行く。悲鳴。無理だよ、ここでは聞こえはしない。オーディオの為に、 防音パネルをしっかりとめぐらしておいているんだから。 あぁ、でも。漸く、胸が悪くなる甘さから、逃れられる。 悪かったね。半分は、僕が作っていたものではあるけれど。君の甘さを守ってやるためにね。 人工的に作られた、甘さより、現実の苦さのほうが、好ましい。 それを今から、たっぷりと教えてやれる。 唾をたっぷりとつけて、舌をさし入れる。ぐりぐりと、汚れている部分を舐め取ると、初めて の感触に荒い息が細い喉から零れ落ちる。 「嫌っ!……やぁぁっ!汚いよ、先生、せんせ、……嫌だぁぁ……っ!」 一度唇を離す。指先をそっと、開ききれていない蕾のような先端にあてがう。 「大丈夫。これで、綺麗になれるよ……君の身体」 僅かな抵抗感。ぴり、と何かの裂けるような音と、飛び散る涙。薄く傷がついたのか、うっ すらと血が滲む。 現れたのは、赤い、奇妙な花。 微笑を浮かべてもう一度かぶりつくように唇で覆えば、声を成さない獣のような悲鳴が迸り出 て、逃げようと身を捩る。 「さあ、これで大人になれるね。ここも、もう子供は嫌みたいだ。そうだよね。知りたいこと が、いつでも一杯だったのだから。好奇心旺盛な生徒だ、君は」 「やめて、知りたくない、嫌だ、こんなのやだ、せんせ、せんせ……っ、……ひっ!」 僕の視線に、細い身体が撓る。一度だけ、宿題を忘れた時に見せた、眼差し。この程度で恐怖 に震えるのだった、この少年は。 「すぐに、気持ち良くなるよ。もう、蜜が出てきているからね」 恐怖で竦んだはずなのに、敏感な部分は衰えを知らない。強請るように揺れて、潤んだ色を 帯びて僕を待っている。 これが現実。彼を初めて待ちうける、苦い、大人の世界。 その苦さの奥には例えようもない味が待っている。 「……んぅっ、あ……あ……」 奈落の底の至福へと、突き落とされる声は、道連れを求めるように、耳元で響いた。 玄関先で、倣岸そうな男が、一応頭を下げて見せる。 「この度は、息子がお世話になった」 数えるほどしか挨拶をしないでいた。明良が母親似で助かったと何度か思ったものだ。 「いえ。僕は、お手伝いをしただけです」 鷹揚に頷いて、僕の背後の息子に伸ばした手は、しかし当の息子に振り払われた。 「どうした?明良。帰るぞ」 僕にしがみついて首を横に振る可愛い息子に、このときばかりは甘い父親の顔になる。 宥めるような声と、再び伸ばされる腕。 「……嫌だ。先生と一緒に、いる」 僕は目を見開き、少年がの動きによろけてさえ見せた。 「どうしたんだい?急に。迎えにいらしてくれたじゃないか」 びく、と少年は震え、帰りたくない、と言った。 教えられたままに。 拒絶を嫌う父親の目が、険しくなる。 「一体何が気に入らん。帰るぞ」 「嫌だ、やだ、帰らないっ!!先生と、一緒に、いる!!」 あの部屋で起きたことは、しっかりと記録されている。甘い声、強請って寄せた身体、頂点 で見せた、初回とは思われぬ狂態。 これを不特定の人間に見せると言われて、従うしかなかった少年の、身体に走った震えを、 僕は見逃さなかった。堕ちることを知ってしまったものの、断末魔を。 幾度か教えてやれば、さぞかし色々と飲みこんでくれるだろう。 今後の努力が、実に楽しみだ。 「我侭を言って、先生を困らせるものじゃない」 生まれて初めて、息子が父親に拳を振り上げた。茫然と、こちらに向けた目。いい気味だ。 暫く荒れ狂う様を、突っ立って観察する。驚いたふりさえ必要ない。頃合を見て、 「明良くん、どうしたんだ。落ちついて。……明良くん」 抱きすくめると、これだけは演技にならない涙が零れ落ちて、少年は玄関に蹲った。 「お父さんは、喜んでくれているじゃないか。君だって、晴れて大学生だ。……急にどうして こんな真似を……」 揺すぶっても、もはや情けないほどの泣き声しか出ない。言えるはずもない。娼婦のように 男に身体を開いて、嬌声を上げていたなどとは。 「どういうことだね。これは」 父親と一緒に車で来た所長の、不審と怒りの声がする。 「加納君。私は君に目をかけてきたつもりだが、こんな不安定な状態になるまで、ケアを欠い ていたとでもいうつもりかね?そうした面も、君なら大丈夫だと思ったのだが?」 詰めよってくるこの男も、ある意味良くやるよ。全く。 廊下に響いた声に、慌てて父親が所長の袖を握る。 「いや、所長。今朝までは、確かに先生に挨拶するのだと……ずっとそれだけを言っていて」 声は呆けたように、宙に浮いている。ここにも、えずきたいほどの甘さがある。 「受験疲れと……そういう言い訳か?加納君。そうした面も解消するのが、家庭教師としての 君の務めだろう?」 項垂れて見せると、いや、と父親が手を振った。 責めるべき言葉を先に取られて、狼狽の中、逆にらしくもなく宥める言葉を吐く。 息子のために。息子を望む場所に置いた、僕のために。 「確かに、合格するまではと私も厳しくしていたものだから。先生は本当に良くやってくれて いた。それで、息子も緊張が切れてしまったのでしょう。そうだろう、な?」 数値しか見ていなかった、愚かしい男。 長く待っているものの辛抱を知らないまま、成績だけを神経にかけた男。 都合の良すぎる言葉に、それでも息子が頷いたのを見て、父親は安堵の吐息をつく。 そう、親子双方にとって、苦くはない甘やかす言い訳。 糊塗したつもりで先へと進み、引き返せなくなるだけの言葉。地獄への片道。 「……どうかね。これから、得意先と食事なのだが、是非息子を一緒にと言われているのだ。 良ければ、君も来てもらえないだろうか。そうすれば、少しは落ちつくだろう」 これには、僕は首を横に振る。しがみつく少年の背中が震える。 言えない真相が恐ろしくて。現実の苦さを暴露すれば崩れてしまう、見せ掛けの甘さに、まだ 少しの間は溺れていたいと願う心が、手に取るようにわかる。 「いえ。……今、彼には仕度させますから。その代わり、また、彼と少し話す機会を持てない でしょうか。僕も、こうなるなど思ってもいなかったので」 「加納君」 再び口を挟もうとする所長に、佐野は首を横に振って黙らせた。 「それが、良いだろう。今後、君は息子の先輩でもあるのだし。それで良いな?明良」 再び素直に頷く息子。父親の顔に、息子をコントロールできる自信が戻る。 「さ、『本当に』お帰り。また、明日おいで。少し、お話しよう。外ででも良いから」 耳元で、約束した言葉を囁いてやる。聞きたかった言葉に、明良はくぐもった声を上げて抱 きついてきた。胸に顔をこすり付けてくる仕草は幼い。先ほどのような快楽にまみれた色香は 窺えないくらいに。 こう言われるまでは、どんなに不本意でも抵抗するように、そう約束させたのだ。 彼の信頼を裏切ったことは、これまでなかった。だから、従うしかない。 角砂糖で育てられた、無抵抗な子供。そこは最後まで、甘やかしてやるとしよう。 身体のほうが、現実の刺激に負けて悦んで従うようになるまでは。 「では、私は先方に電話を」 時計を気にしながら、廊下をマンションの玄関に向かう男。僕は明良を洗面台に向かわせ、 その背が消えた時に所長を見やる。 「……首尾は?」 口元の笑みは答えを分かっているだろうに、問いを発してくる。 こちらは何もかも、表情さえも捨てて、平然と結果だけを報告する。 「上々そうですよ。薬の効きもよかったし、これからは『先輩』だ。父親のコントロールは、 今まで通りお任せしますよ。所長」 倍の金額、それを半分マージンとして渡していた相手が、顔を綻ばせる。 「本当に、君は優秀な人材だよ。いつ、私も楽しませてもらえるね?」 水音が、ばしゃばしゃと聞こえる。汚れた身体の顔だけでも清めようとするように洗う少年 には、こちらの会話は聞こえていない。 「もう、暫くは。慣らして、何もかも曝け出さずにいられなくなったら、お知らせしますよ」 そう長くはかからなそうだと、指を2本立てる。2ヶ月は必要だろうかと。 全てこの日の為に仕組まれていたと悟っても、離れられないようにするために。 「大学生活にも慣らした頃にお伺いさせますか。プレゼント用に、リボンでも巻かせてね」 喉の奥で、笑いが漏れる。教育者の顔で、共犯者が笑う。 この男には色々と、忍耐も技も教わった。苦い現実の奥の、悦楽の味も。 「今後も親子で親しくお付き合いを願うかな。暫く、君にはあの子の『専属』で頑張って貰う としようか。その間の料金は、振り込んでおくよ」 水音が、止まる。タオルで顔を擦っているのだろう、すぐに出てくる気配はない。 「えぇ。未来の院長に、色々とこれからも努力してもらわないとね」 ちらり、と、熱を帯びた視線を感じた。すぐに、打算で塗り隠して平静な振り。 「君も、な。身体を壊さぬ程度に」 では、と所長が車に向かう。 背後から、悄然と近づく足音。抵抗の意志は、そこにはない。 洗面台の剃刀さえ、持つ意志のない従順さ。そんな真似をする前に、多分もう少年は落ちる。 今までの庇護に似て作られた、快楽と言う人工の檻の中に入ってくる足音が聞こえた。 優しい家庭教師の顔を取り戻し、振り向いてやる。 思ったとおりの、本物の甘さを、僕は眼差しの奥で味わった。 |
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