死角


1


 慌ただしく日々を過ぎて、気がつけば周囲は緑の濃淡に染められていた。
春どころか、初夏だ。
まだ朝に冷たさを残す空気を押し破るようにして、色を増してゆく木々の間に花が咲いて いる。
 近所の寄せ植えのパンジーの紫、小さな庭の白い木工薔薇、赤々と花弁を誇る牡丹、早 くも落ちそうな藤棚の房、時期を過ぎ勢いを失っても色を残す山吹。
今年は蒲公英を見た覚えがない。あっという間に他の花が咲いて、地道な黄色を隠してし まったような気がする。
その時期の僕は、重苦しい灰色の壁の中で自分に降りかかったものを払いのけるにはどう したら良いのか、そればかり見つめていたに違いない。
 そうして今日からはまた、目を楽しませる色合いからは少し遠くなる。
「どれ運ぶんですか」
 背後から来たのは丁寧な問いかけではなく突き放したようなぶっきらぼうな口調だ。
振り返ると僕より僅かに背が低く、横幅は僅かに僕に勝る男が、床に置かれた機材を運ぶ ためのボックスを指差していた。
人に使われることを快く思わない気持ちはわかる。一つ年上と言うだけで命令されるなん て、とこの後輩は思っているようだ。
家が豊かであれば人を使う。使う方だけは長けているが、逆に、使われている人間の事を 良く見ていない限り、横柄で何も出来ない人間に成り下がる。
 ま、成り下がってくれても結構なんだが、ゼミの後輩でそれは頂けない。
「済まないけれど、右の箱。ああ、一人では持ちにくいだろうから、僕も手伝うよ」
僕は別に、誰かを顎で使おうと思った事はない。
ただ、誰かに動いてもらうためには自分が先に踏み出す時もある。
勉強しない金持ちのお坊ちゃまの成績を10点上げるには、家庭教師が持ち上げてやる必要 があるのと同じ事だ。
やって見せればいい、簡単なことだと分かるまで。
積んでゆく日々が、僕たちを変える。変化の波は大小異なっても、必ず変わる。
「……有難う」
ぼそりと答えて、後輩の新木雄二は僕が片側持ち上げた箱を持つ。
ため口を教授が聞けば容赦なくきつい一言を向けるだろうが、それまでに個人的に抉れる ような真似をしたくない。
礼を言えるだけ、ましと言うところか。
「そこ気を付けてくれ、段差があるから」
 今年碓氷ゼミに入ったのは七名。五年次が抜けている分それなりの人数だ。
成績も優秀だが、教授は『かなり幼い』と内心思っているようだ。
僕や板倉が入ってきた時も、きっとそう思ったに違いないが、別段作業をさせるのに上級 生を補佐で宛がうような真似はせず、何事も任せていた。
今年は、三年次を一人で作業させるようなことをしないようにと、僕も含めた四年次を実 験関係では張り付かせている。
樋口、小野、板倉は二名ずつ預かった。僕はというと、一番寡黙だが反抗期の少年から抜 け出せてないような新木だけで済んだ。
僕だけ楽なのはどんな理由かって?
 理由は、倉庫から出てきた僕たちを待っていた。
「加納君、それが済んだら未整理のファイルボックスの資料を分けておいてくれ」
「かしこまりました」
 後輩より大変な、教授の手伝いが待っている。去年はこれが五年次の作業だったのだけ どな。
碓氷教授は頷いて、新木にも声を掛けた。
去年と違って、いつもプレスされた服を着用し、何においても乱れがない。
クリーニングの手配は僕の雑用の一つになってるわけだけど。
「慣れるまでは慎重に。実験道具や機材の怪我は、皆体験しているがしない方が良い」
「……大丈……」
「はい」
教授の眉が上がるより早く、僕は返事を覆いかぶせておいた。
今度は頷かずに立ち去る教授の背を見送っておいてから、流石に注意する。
「返事は『はい』でいいんだよ、あの場合は」
「壊しません」
強硬に新木は主張する。
「壊す壊さないじゃなくて。これから教授に教わるのに、初手からこの程度の事で反抗し ていてどうするんだ?」
「何でも『はい』ですか」
そんな従順になれたら楽なことだろうな。
僕は箱をしっかりと持ち直し、新木にまっすぐ顔を向けた。
皆は気がついていないが、この後輩は意外に気おされやすい。
「教室や実験レポートで納得が行かない場合は、いつだって反論させてもらうけどね」
それだって、大概は負ける。
 敗北の理由は教授の権威でも、知識の豊かさでもない。僕たちが未熟なのだ。
ある種の実験では、決まりきったデータしか出ない。それを逸脱するような結果を出した 場合、僕たちは一瞬、新しい発見か、それに繋がる瞬間に立ち会ったように思い込む。
でも実験を繰り返し、何度も試すうち、自分が些細なミスをしでかしたことで、エラーが 発生していただけだと分かってくる。
 エラーは緻密な作業のうちに取り除かれる。教授も学生も、同じ事を繰り返して食い違 いを減らし、結果を確実なデータで作り上げるのだ。
それを怠ったり、或いは理解しないでいる限り、大学では成果をあげられない。
失敗は成功の母、という言葉は死語ではない。現実だ。
「新木は明日、最初の質問日か」
 碓氷教授はゼミの学生に質問する時間を月に数時間義務付けている。質問する事がない 学生はいない。現在整形で疑問点が少ない学生は、逆に突っ込まれて右往左往する事にな る。
やる気がないと見なされるとゼミから放り出される可能性もあるから、僕も必死にノート をめくり、漏れを埋めようと教科書をひっくり返す。
「その意気で頑張れよ」
「……はい」
今度はまともな返事があったので、頷く。僕たちはそれを合図にそろそろと薄暗い倉庫の 廊下を進む。
新木の最大の問題は、単語レベルのぶつ切り会話だ。寡黙と言うよりコミュニケーション が下手すぎる。
これも、修練積んでゆく他はないだろう。
嫌われているわけではなさそうだ。曲がり角できちんと、僕の動きを待っている。クラン プなどが入っているので、男二人でも相当に重いが、言われたことは出来るようで慎重に 慎重に進んでいる。


 吉良という男は、西風の生存を疑っている。
西風が死亡した、という完全なデータが入手出来なかったために、未だに僕にさえ手を伸 ばして少しでも情報をかき集めようとしているのだ。
それだけの周到さを持っている男から、何かを掠め取った西風。
 そんな恐ろしい男には微塵も見えなかった。
西風の全てを取り違え、曇った目で世界を見ていた、というのでは少年だったにしても、 余りに僕は情けない。
それとも、西風は僕をも欺いていたわけか。庇護者として信じきっていた少年さえ、彼に とっては味方でなく、利用する道具に過ぎないと。
吉良の元から何を持って逃げたかは知らされていない。知らなかったことで、僕は辛うじ て自分の生命を拾えた。
あの時はそれで良かった。
でも、今日を明日に繋げるためなら、今の僕は何でも知らなければならない。
『チーム』は何を研究しているのか。
西風が奪って逃げたものは有形か無形か。データかサンプルか。
三山は『チーム』に協力していると言った。どうやって?
僕が彼を生き延びさせるには、医者になる以外に何が必要になるだろう。
これを知るために、僕は開をどう利用したら良いか。
何時も吉良は情報を一方的に流してよこし、僕の欲しい情報はくれるはずもないのだ。
三山の生存も分からない。生きていてくれることを願いつづけるしかない。
吉良が無下に彼を死なせるようなことはない、生命はまだ燃え尽きるほどではないと。


 二つ目の角の手前で、立ち止まって正解だった。
訝しげな新木の口元が動く前に、知っている声がする。
「おっと、失礼……加納か」
僕は箱が水平になっているのを確認し、首だけそちらに捻じ曲げた。
「西山先輩」
院生の西山和文は、僕の方にわざと顔を寄せるようにして、新木をじろじろと見た。
「や、三年。先輩の言うことを聞いてるか」
新木はむっつりとしている。それを見ても西山は殊更不機嫌にもならず、僕の肩の上に顎 を乗せてきた。
「駄目だな加納。お前と同じで相変わらず無愛想じゃないか、新木は」
一言余計だ。ついでに顎も余計だ。
そんな位置で喋られたら嫌だからとっとと離れたいが、両手が塞がっている。
「先輩、荷物を運んでるので、ご用がなければ」
「用事か?……そうだな、作るか」
嫌がらせなら止めてくれ。そろそろ手が痛いんだ。
「作らなければならない……」
ほどだったら失礼、と言おうと思ったとき。
「先輩、持ってくから」
新木は新木なりに気を使ったつもりだったろう。箱を持つ位置を変えて、一人で支えよう と手を動かした。
しかし、声とほぼ同時に手を動かしたものだからたまらない。
「あ……っ」
「ぅぉっと」
強く指先が擦れる感触、熱い、と思った。反射的に指を引いたのをしまったと思う間もな く中指に熱から変じた痛みが走る。
強張ってぶつかるようになった僕から、慌てて西山が離れた。
どかどかと、クランプが床に落ちた。新木が足首を押さえて蹲り、半分ほど中身を残した 箱が横倒しになる。重いけれど喧しい音が床を立て続けに鳴らして、幾つかは金属どうし が立てる硬質な響きを残し、消えた。
倉庫の有る建物は古いためか残響が半端ではない。
数名の足音が、何事かと様子見にやって来る様だ。
慌てて拾おうとして、
「待て、加納。指」
西山が僕の右手首を掴んだ。見れば、赤い雫が盛りあがっている。やはり、手を引いた時 に角で切ってしまったらしい。
薄暗い中でも、こうした色は鮮やかだ。
僕は無事だった左手で、ポケットを探った。バンソウコウくらい持っている。
どうにか一枚を引き出すと、西山が手を出してきた。
「張ってやるよ」
今度はふざけることもなく、肌と似せた色のそれで、きっちりと指を巻いてくれた。
しかし、素直に礼を言う気になるかというと複雑な気分だ。
西山がふざけなければこんなちぐはぐなことにはならなか……
「―――馬鹿者」
……後ろから来ていた足音が止まったかと思うと、ぱしん、と脳天に一撃が来た。
教授だ。相当煩かったから何事かと戻って来たのだろう。
感触からすると、持っていたファイルの、面積の広い方で頭を叩かれたのだ。
「言ったそばから」
痛いと言うほどではなかったが、大きな音に新木が首をすくめる。
西山は、と僅かに意識を向けて、僕は口元を引き結んだ。
院生の視線は、僕ではなく教授を向いていたのだ。
直ぐにこちらに気がついたのか、壁際によって知らぬ振りをするものの、口元にかすめた 淡い冷笑のような翳りは、教授の反応を窺っていたとしか見えなかった。
「申し訳ありません」
 指先のごわつきを感じながら、僕は教授に頭を下げる。
嫌なことだが、西山は僕に対する教授の感情の揺れや温度を絶えず測っているようだ。
もっとも、何を考えていようと表に出すような男ではないし、隠しとおすと決めたら墓ま で持ってゆくだろう。
教授が楽々とそう出来るように。
硝子類を運んでいたわけでないことにほっとしながら、廊下に散らばった器具を拾い集め にかかる。
新木も、そして西山も手伝って全て拾い終えて出きるだけ水平になる様に箱に入れ終える まで、教授は黙ってその様子を見ていた。
 上から下まで鞭を鳴らさなくとも厳しい男は、それから僕たちに背を向けて、今度こそ 一定の靴音をさせて歩み去った。
「……やられたなー」
西山はなれているからこの一言で済んだが、新木は違った。
「何で、ぶつんだよ」
鬼でも見るような目で教授の背中を睨んでいる。
「何で」
「注意された直後にこんなことになったからだろう。ほら、運ぶぞ」
促すと新木は箱に取り付いたものの、面白くない顔つきでいる。
「お前の不注意は、上級生があれこれ教えてないってことになるんだよ」
脇から不注意の元が口を出した。
しかし西山の言葉は間違ってはいない。
僕がきちんと実験道具の扱い方や、衛生に関する指導を怠れば、それだけ新木の実験で出 すデータにはエラーが混じる。
その数を減じるまで、他人より遠回りでゆくようになり、新木も、教えた僕もその程度の 認識しか持ってない杜撰な奴だと思われるのだ。
「あんたが……」
「口を回すな、手を使え。加納を見てろ。こいつは無愛想でも、言われたことは一発で覚 えてたぞ」
立て続けに言われて、新木は悔しそうに口を閉じた。僕は首を横に振る。
「そんなこと」
何度も板倉とどじを踏んではその度に教授や上級生に怒られた、そう思いながらも再び僕 は新木と箱を持ち上げた。
「それじゃ先輩。僕らはこれで」
大学にきた以上、遊んでいるわけにも行かないのは西山も同じだ。
「そうだな。来週のゼミ終わったら昼でも行くか。結構いいもんだす店知ってるぞ」
「奢りでしたら」
「おいおい、ちゃっかりしてるな」
図々しく言ってやっても、西山は表情を動かすほどではなかった。
「またな、加納」
 片手を上げて、西山は奥の方へと向かう。院生のグループは彼ら独自の実験と、後輩達 との実験の二つ以上をこなす。多分どちらかの準備で、道具を取りに来たのだろう。
何事も率先して西山は動くと聞いている。
もう一人、六年次の栗橋賢也とは違って下級生を顎で使う真似はしない。
ただ、何でも出来てしまう男の下では人は余り動かない。
将来院長として権力を握ることができる位置にいるから、西山も栗橋も求心力は決して小 さくない。
どちらが一体、人にとっては良いのか。
結局は己の思い通りに進めないなら、どちらにも行きたくない。
「出たら3号館の右手。あっちにエレベータがあるから、そこまでは下ろさないで」
「はい」
 僕は、ほどほどでいい。箱の中身を傾けないように進みながらそう思った。


 腰で一瞬鳴っては消える音。
「ワンギリ多いな、加納も」
 学食の暇もなくてスタンドのホットドッグにかぶりつきながら、板倉隆介は相変わらず 色々とストラップやマスコットをつけた自分の携帯にも目を落とした。
「零れるぞ、板倉」
僕も同じものになっている。新木はあれからも結構自分なりの拘りめいたものを見せて、 説得に骨が折れる奴だと僕ばかりか手伝ってくれた板倉にも溜息をつかせた。
さっきも器具の組立が終わったと思ったら、サークルの場所に走っていってしまった。
西山じゃないが、軽いものくらい奢ってやろうかと思ったのだけど。
「でさ、加納。バイトの件なんだけど……」
 下に茹でたキャベツを敷いてあるホットドッグをまた一口齧った時言われて、ああ、事 件で流石にその気をなくしたな、と僕は早合点した。
ここのは零れやすいから、大きく一口。
「俺、所長に会ってみた」
 ……何だって?!
熱を持った塊が、喉の奥に押し寄せる。すぐに異変を察した身体が、異物を排除にかかっ て僕は咳き込んだ。
「あああ、大丈夫か、がっつくなよ」
飲むか?と差し出されたコーラを断り、自分の烏龍茶を啜って一息つく。
火傷寸前の熱さに喘いでいる僕が落ちつく暇もないうちに、板倉は続けた。
「結構お前のこと心配してた。お前の紹介って言わないで自分でやろうって思ったんだけ どさ、大学と学部一緒じゃバレバレでさ。教授のとこで窮屈な生活してないか、たまには 息抜きしてるかってさ」
 そう来たか。
所長が板倉のことを知らないということもないだろう。
今度は用心してホットドッグを齧る。あの男がその日していたネクタイの柄さえ見える気 がする。
「……面接、どうだった?」
 答えが一方向にしかないことは分かっているけど、一応尋ねる。
「ん?ああ、一応試験受けてくれって。でもって良かったら、短期からだってさ」
 試験と言うのは、得意不得意の科目を一応計るべく、センターが行うものだ。余程ふざ けた結果でない限り、落とされたと言う話しは聞かない。
板倉は明るすぎる嫌いはあるが、馬鹿ではない。まして医学部の学生を、所長が撥ねるは ずもない。
「じゃ、決まったな」
「……んなもんか……っっ」
 今度は板倉がコーラに噎せそうになって僕に背を叩かれる番だった。
「そんなもんだよ。駄目なら始めからそう言う人だから」
 むしろ、歓迎しただろう。教授と僕との同居を、一番快く思わないのは所長だ。
この前新規の受持ちを相談しに行った時、しつこいほどに居候するならこちらにしろと言 われた。
 僕を引き寄せるためなら、同じゼミの学生は利用できると考えるだろう。
出る所を探したくても、教授の目が事件以来僕から離れないから難しい。
板倉と昼を食べる時間くらいはあるけれど、板倉も教授に何かを吹きこまれている。
出たい、なんて言ったら教授に筒抜けと考えておいた方がいい。
「そう言えば板倉、この前教……」
「あ、そうそう加納。瀬里ちゃんにも会えたぞ」
板倉は、瀬里が僕とつきあっていると勘違いしている。
誤解は解いた方が良いのかも、とは思うが、事件以来会えていないので流石に回復してい るかどうか気にはなる。
「……何て、言ってた」
僕の声は急速に乾いていった。
「『ヤスちゃん、気をつけて頑張って』って……無理ないよ……」
板倉も、僕と共に見たものの凄惨さに身を震わせ、声を途切らせる。
 女優だった女の死はマスコミを賑わせたし、今もある程度の興味と頻度で雑誌に掲載は されている。この件では教授も所長も手を回しきったのか、『家族が発見』ということで 僕たちの名前までは浮上してこなかった。
容疑者は、未だに特定さえ出来ないのだろうか、僕たちまで情報は下りてこない。僕たち には全て終わるまで知る権利も与えられないのだ、きっと。
「……行ってやれよな」
目を転じると、ここ数日の風で撃ち落され、踏みしだかれた躑躅の花が見えた。
踏まれた部分だけが色を増して赤暗い。
「ずっとお兄さんとこだったってさ。俺も、久美とこの前ようやっと出かけて仲直りした ばっかだし」
「仲直りって、喧嘩したのか」
 素直に頷いた板倉は、『もう終わったから』とそれ以上を聞かせてくれなかった。
暫く二人して黙って冷めかかるホットドッグをぱくつく。
結果として僕は教授が板倉に何を話したのかをこの時点では聞くことができなかった。


 この時点で、僕は充分に用心しているつもりでいた。
自分の身さえ弁えていれば、今暫くは綱渡りも問題ないと、高を括っていたのだ。
いいわけをすれば、祥代さんの事件が僕の恐怖心を麻痺させ、教授の気に入りとして周囲 から向けられる視線が、嫉視されることに対する痛覚を麻痺させていた。
僕は、全てをリストアップしていたはずだった。
板倉さえ、間違えば敵になると。教授も、所長も、いつ掌を返すか分からないと。
ゼミの連中も味方と考えてはいなかったが、僕は数人の人間を軽視した。
大勢に囲まれて、彼らの存在は霞んでいた。それで良かったものも、我慢ならなかったも のも、僕と同じ春を、活動の時期を迎えていた。
もう一度、僕は吉良の言葉を思い出すべきだった。
僕にとっては長い道程の途中でも、重い腰を上げたのは一人ではなかったのだ。
ほどなく、動き出した世の中で僕はそれを思い知らされることになる。


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