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初詣にはならないだろうに、初詣と称して集まりたがる連中はいる。 ゼミではそういうのはないだろうと思っていたが、有志で行こうと電話がかかってきた。 普通なら僕の返事はNOである。通常の年末年始は、自分の部屋で大学や、バイト先の生徒 のためのテスト対策を組んでいるところだ。 神頼みは最後。この世の中は一部の天才を除けば実力重視だ。 二人いる生徒の片方は今年受験。受かって欲しいから、殊更に力入れて指導したし、向こ うも絶対合格するつもりでいる。 その実力があると確信しているんだけど……。 「だったら、その生徒の為にお守りくらい買ったらどうだね」 座っていた椅子を、教授にぐるりと回されて、僕は否応無しに向かい合う形になった。 「半日かけて、プリント1枚作る方がよっぽど為になると思うんですが」 僕のノートパソコン上では、生物の良問が明滅している。物理などの簡単な問題を選択す る生徒が多い中、生物で受験する気骨がある生徒のために、過去問をひっくり返して選び ぬいたものだ。 「その1枚が合否を分ける程度の指導でもないだろう。絶対の自信があるなら、最後に、 お前の手では及ばない領分を補うものを用意したらどうだ」 正月三が日を一緒に過ごした―――といえば聞こえはいいが、僕の時間を潰してくれまく った男―――が、また手を伸ばしてくる。幸い、今は肩だが、肩。 やっぱり一度、徹底的に拒絶した方が良いのだろうか。……じゃなくて。 「お前が受験するなら問題はないだろうが、相手はお前ではない。生徒のためを考えるな ら、そうした所も見せてやったらどうだ」 少し、肩が重くなった。 教授は女子学生をうっとりさせそうな笑顔で、教育者の発言をする。 「お前に教えてもらえる生徒は、幸せだよ。こんなに、時間をかけて準備してやって、メ ールでの質問にも答えて、何時だって良い兄のように接してくれる家庭教師。贅沢極まり ないな。サボって遊んだり出来なくなってしまう」 「こんな時期に遊ぼうなんて考えがどうかしてますよ」 「本当に、生真面目な先生だ……」 ぐっ、と片膝が乗りかかってきた。背中が椅子からずれて机の端に当たる。 「その熱意、いっそ大学に残って発揮するか?」 「まだそんなこと分かりませんよ。あと3年もありますし」 僕のバイトの様子を知った教授は、最近大学院への進学を勧めてくる。言った通り、僕は まだ今年3年から4年にあがるため、頑張っている最中だ。 一般の医者としてより、研究者や講師の方が合っていると言われてもピンとこない。 「そんなに私から逃げたいかね」 冗談としても大概にして欲しいことを言われて、僕は流石に怒ろうと思った。 「誰が逃げるなんて―――ぁ」 教授は、僕の口を塞ぎにかかってきた。何度抵抗しても、こうなると叶わない。 ちゅくちゅくと唾液の混じる音が部屋にこもり、興奮してきた相手の手が襟元を探る。 「……っ」 どこで覚えてきたのか、最近は歯列をなぞった後に舌を絡めるのが好きらしい。 少しずつすこしずつ、相手から流しこまれて口中に溢れそうになる液体を、零すわけにも ゆかず飲み下す。 困ったことに、この間に乗りかかった教授の脚が、刺激に弱い部分を押し上げていて。 「……博光さんっ」 上目遣いに睨むと膝は離れたが、今度は手が、太腿の周辺を探ってくる。まずい。 ここで勃ってしまうと後は雪崩れこむばかりだ。 逃れようとしても、指先がゆっくりと中心部にかかってくる。 形を確かめるように、ジーンズごしに押さえこんできて、だんだん前が痛くなってきた。 昨日、あれだけした、というかされたのに……と、少々情けない。 「わかりました、行きます、行きますからそんな真似なさらないで……あ」 ぐっと握られた。こうなるともう、理性は問題外になってくる。 耳元に熱い息が吹きかけられる。 「行くって、どこにだね?」 「……初詣……」 下腹部のまだ淡い熱をねじ伏せて呟くと、今度は軽くキスされた。 「そうか。今回は、小方の帰国で私も一緒に、と言われているからな。それでお前が来な ければ説明が面倒になる」 だからって。自分のゼミの学生に乗りかかって挑発する教授が何処にいるんだ。 昨日あんなに……と言おうとして、止めた。 何で教授と痴話喧嘩しなきゃならないんだ。僕が。 「さあ、早くプリントを終わらせなさい。珈琲、また淹れておくからな」 教授は幸せそうに言って、興奮で持ちあがった僕のことなんかもう構わないように身体 を離した。そのまま部屋を出ていってしまう。 人の身体を弄くっておいて!と叫びたいのだが、本当にプリント用意しておかないと時間 がなくなってしまう。 「明日は混んでいそうだな……」 しかも、この分だと初詣前に体力激減だ。 早めに勘弁してもらうためにはどうしたら良いだろう。 そんなことを考えながら、僕はファイルを保存して印刷ボタンを押した。 集まった集まった。 碓氷ゼミが少数精鋭といっても、それなりにOBが存在する。 製薬会社の研究員になっていたり、大都市近郊で医者として働いていたり。 数名は教授を尋ねてきて顔と名前を知っているが、まさか十人も暇な連中がいるとは思わ ず、僕は代わる代わる声をかけられて些か胃が重くなった。 「大丈夫か加納」 それでも人ごみに残りたくなくて歩いていると、これまた暇だったのか参加してきた栗橋 が声をかけてきた。 「顔色悪いぞ」 「有難うございます。大丈夫で……す」 途切れたのは、参拝客の一人がぶち当たって通りすぎたからだ。 財布の入ってる側ではないので、僕は余りそっちを見なかった。 いや、見られるほど集中力がなかった、が正しい。人いきれが凄くて、普段から大勢が屯 す場所に行かない僕は、ちょっと酔ったようだ。 「ちょっと休め。参拝でぶっ倒れたら迷惑だろうが」 人通りの少ない道の端へ、栗橋は僕を引っ張ってゆく。 何かが気に入らないからと僕に当り散らしていた男とは思われない。 家の事情が好転でもして、機嫌が直りでもしたのだろうか。それとも、教授にしっかり囲 いこまれている後輩に当たっても、つまらないと諦めたか。 冷たい空気が喉に流れこんで、ほっと息をつく。教授たちは少し先を人波に揉まれていた が、その辺りで誰かが引き返してくるようだ。 逆流に乗るのは大変そうで、黒い頭だけが揺れているのが分かる。 「……加納。一つ聞くけどな」 そう言ったものの、そこから先を栗橋はなかなか続けようとはしない。 参堂近くの壁に凭れて、僕らは奇妙に黙りこくっていた。 そのままにしていると、栗橋は舌打ちした。 「……ったく。聞いてますって態度も取れねぇのか」 「え?聞いてますよ、勿論」 目の前をご利益かイベントか、信心よりは物欲に流されて行く人間の姿を眺めながら、僕 は答えた。 それでも何処か苛立ちを隠せない相手に、仕方なく一言重ねる。 「何の質問か、分からなかったから……」 もう一度舌打ちの後、栗橋はのろのろと口を開いた。 「お前、教授から俺のこと何か聞かされているのか」 ちらと見れば視線は人の波に向けたままだ。 「いいえ」 この答えが傍らの男の不安を解消するわけがない。 猜疑心が強いところがあるから、僕の言葉を鵜呑みには出来ない。だが即答は、胸にある 靄を少しだけ晴らすはずだ。 僕は、人の現状に踏みこむほどお節介でも器用でもない。 現在をどうにかしない限り、僕は誰かを気にかけるような余裕は持てないだろう。 打破するために弱みを握ると言う手もあるから、手放しの保証ではないけれども。 「そうか。……西山にもか」 「何も」 この前の感触が蘇りかかり、僕は右の奥歯を噛み締めた。 中耳炎になるかと思ったよ、まったく。気持ち悪い。 「そうか。分かった」 それでも栗橋は、何とか自分を納得させようとしているようだった。 顎を引いて、数度、小さく頷いている。 「これからも聞くなよ、誰にも」 付け足してくる辺りは、まだまだ吹っ切れていない様子だが。 「いい加減にして下さい」 家庭教師の時にたまに生徒に使う声を僕は出してやった。 驚いた顔で、栗橋が僕を振り向く。 「―――加納」 「僕は誰かを詮索したりされたりは面倒なんです。何を先輩が誤解したかは知りませんが 後輩勘ぐる以外の暇つぶしを見つけてください」 言ってやった。 本当は、対立する気はまだなかった。 教授の所に助教授が来ていた折、生徒から駄々をこねた電話があった。 その時に僕は同じような口調で怒ってやったのだ。 これが二人に受けてしまった。そんな言い方も出来るのかと教授は感心し、きびきびした 物言いの方が若者らしいと助教授は矢鱈に僕を励ました。 最初に大人しそうにしておくと、損だと二人に言われたので、ちょっとだけ試してみる気 になったのだ。 栗橋が、酢を飲んだような顔になって再び口を開けた時、目の前で人の波が割れた。 「……二人とも、大丈夫か?」 僕たちは、意外な人物を二人して凝視した。 小方助教授。 今日のメンバーに『お気に入り』とされる西山はいないが、至極機嫌は良さそうだ。 「加納が人に酔ってるんで、休ませておきます。助教授はどうぞ、お先に」 余り覚えがめでたくないらしい栗橋は、さっさと片付けようとした。 宥めるように助教授はその腕をつかむ。 「まあまあ、折角ゼミで集まったんだ。きついなら、ゆっくり行こうじゃないか。別に神 様にアポイントを取ってるわけでもなし」 自分で言って自分で笑いつつ、助教授は僕の背中にも手を回し、両側から抱えるようにし て歩き出す。 僕と栗橋は、一瞬『どうする?』と視線で語り合ってしまったが、動かれては仕方ない。 程なく腕は解かれたけど、緩やかな場所をゆっくりと助教授を挟んで歩き始めた。 「正月は、何してたの」 どちらともなく聞かれて、答えたのはやはり栗橋が先だった。 「俺はスキーに」 言われれば僅かに雪焼けの跡がある。 「へえ。国内?」 「海外は戻るのが面倒そうでしたから」 夏休み、合宿後はニュージーランドでスキーの滑り放題だったらしい男は、素っ気無く答 える。 「羨ましいね、選択の余地が合って。なあ、加納君?」 別段どうでも良かったが、僕は曖昧に頷いておいた。 「で、君は?教授と何処か出かけた……わけないかな」 「僕は、バイト先に挨拶行ったくらいです」 残りは妙な初夢を見た教授に調子に乗られて、酷い目に遭った……。 「バイトか。学生で先生ってのも大変だね。体調壊さないように」 バイトより日常の方が大変になりつつあるんだけど……まあ、言っても仕方ない。 「教授は、君たちを凄く心配されているよ」 少し間を置いて言ってきたことから、どうやら小方助教授は漸く本題に入ったようだ、と 僕は気がついた。 「何が原因かは知らないけれど、折角同じ大学で、同じ教授に師事しているんだ、少しは お互い歩み寄るんだね。色々と環境の違いもあるだろうけど、それを容れる器量を養わな いと、患者のためを思っての治療なんか出来ないからな」 ごもっとも。ありきたり過ぎて、感動もへったくれもない。 「別に、こいつが寄って来なくったって、患者は腕に頼るものでしょう」 栗橋は言い捨てて、ずかずかと先に行ってしまう。 「……合わない人間って、助教授にはいないんですか?」 皮肉のつもりではなかったが、僕はそう尋ねていた。 「いるよ。……ただ、合わなくても一緒にいなければならないことは、あるだろう」 あり難いお言葉のすぐ後とは思えない素っ気無い返事が返ってきて驚いた。 今の栗橋の態度で、気分を害したんだろうか。 だが表情には険しいものはなく、やって来た時と同じ様に足取りはさり気ない。 何時の間にか僕は半歩ほど後れて助教授の後ろを進んでいた。 歩くうちに、かなり先に進んでいたはずの教授たちの背中が見えてくる。 そんなにペースは変わっていないはずなのに、どうやって進んだらこんな風に前に辿りつ くんだろう。 板倉が振り帰って、僕に気づいた。前向きのままバックするようにして、前進する助教授 と入れ違いみたいに僕の所までやってくる。 「加納、どしたんだよ。へばったか?」 「まさか。お前こそ、シフト深夜だったんだろ。大丈夫か?」 腕で小突きあうようにしながら石段を昇る。 板倉とは遊びに行ったりはしないけれど、こうしてゼミや授業の間に一言二言話していて 気が楽になる。日常と呼べる部分が、まだ僕にも残っていると感じられる。 例え、この人ごみの何処かに、『チーム』や西風がいても。エージェントである開には、 約束通りメールを入れておいた。姿は見当たらないが、いる筈だ。 賽銭箱の前で、僕は用意しておいた小銭を放り入れて、教え子の合格を念じた。 その時、ふと思ったことがあって用意していたほかに、もう十五円取り出す。 祈ることは、僕には本当の意味はない。普段信仰心も持たないで、こんな時だけ神さまが あることにしてしまうのは、傲慢な気がする。 だが、一つだけ、叶ったら良いな、と思ったこともあった。 その分だけ。ささやかな願い、一つだけ。それが叶うなら、僕の今年は上々だ。 深呼吸して、僕は二回目の手を合わせた。 「加納、何でもっかいお祈りしてたんだよ」 皆で引く御籤。僕の運勢とやらは末吉だった。 よろず身を慎み、学問に励むべしと来た。誰だってそうだろうに。 まあ、凶ではないだけ、良しとしよう。 「ん?板倉、お前何だった?」 教える気なんかないので、僕は板倉の手元を覗きこむ。 「お、中吉。まあまあか」 「へへっ、気休めでも嬉しいよなー」 頭をかいている板倉から少し離れた所で、栗橋が面白くない顔をしている。 「先輩〜!何でした?」 能天気に声をかけた板倉に、栗橋はむっとして怒鳴り返してきた。 「黙ってろ!」 あの分では、凶か大凶……といったところだろう。 実は、御籤と言うのはその二つは極端に少ないらしい。僕や板倉の引くような吉の籤が大 半だし、詳しい割合は忘れたが、大吉が一番多いと聞いたことがある。 大凶はそのなかでも一番少ない。百枚に一枚から二枚だ。 当たったら、逆に今年の籤運は良いかもしれないと思って開き直るのが良いだろう。 肩を怒らせて、栗橋はもう一枚引きに社務所に向かうようだ。どうせこんなもの気休めだ が、きっと納得行く運勢が欲しいのだろう。 がらがらと、番号札の入った多面体の箱を振っている男は、ひょっとすると大分幼い面も あるのではないか、と僕は思いつつ板倉と遠巻きに様子を見ていた。 しかし、確率と言うのは時に偏るものだ。 巫女装束の女性に渡された籤を見た栗橋の表情は、赤いのを通り越して黒くなるほど憤怒 に滾っていった。 「……くそったれ!」 正月に罵声など出すほうもどうかしている、と僕は思ったが、栗橋はその場でびりびりと 手にした紙切れ二枚を破き始めた。 もしかして、二枚とも凶とか大凶だったんだろうか。 だったらそれはそれでまた凄い確率だ。 宝くじなら一等と前後賞が当たったようなものだ。引き当てるのは幸運な男だということ になるのかもしれないな。 国家試験を来年に控えた男としては、面白くないかもしれないけれど。 どちらにしても紙切れ一枚。僕には滑稽な話にしか思われない。 「……あーあ。可哀相だな、先輩」 「行こう、板倉」 僕はそれだけ言って、また先に進んでいってる教授やOBたちに追いつくべく、足早に階 段へと向かう。 学業のお守りも買ったし、僕のここでの目的は終了した。 後は戻って教授と、多分押しかけるだろう面々に対してお茶でも用意するだけだ。 今日の重労働は終わり!などと吹っ切って、冬の薄雲を見上げる。そくそくと冷えが駆け 上ってくるが、大勢に揉まれて帰るうちには暖まるだろう。 戻る人ごみも凄まじいものだったが、行きよりはゆったりした気分になれる。 そんな安堵が、僕をほんの少し油断させた。 大きく深呼吸して、人の渦に巻き込まれ階段を三段ほど降りかかった時だった。 鈍い衝撃が、肩甲骨の下から襲ってきた。 ブーツの踵が滑る。つま先が大きく石段を踏み外す。 一瞬、時間が制止したような気がした。 ―――つんのめって前に倒れたら駄目だ。数人巻き込む。 仰向けなら、滑り落ちても数段で済むかもしれない―――。 結構ゆっくりそんなことを考えたと思っていたが、一瞬のことだろう。 僕は必死に重心を下に下げようとした。 辛うじてうまく行ったらしい。視界が真っ直ぐに人の波に潜った。 石段の角に当たって次の衝撃。仰向いて、衝撃の元になった原因を無意識に求める。 僕の後ろは、人一人分の空気が開いていて。 空間の真後ろにいたのは、茫然とした顔をした栗橋と板倉だった。 二人とも、身体にぴったりと腕がついている。ついているが。 「……っっ」 尾底骨の辺りを打ちつけてしまった。それでも見たままの光景を記憶に留める。 腕を伸ばせば僕を突き飛ばせる位置に、この二人はいた。 栗橋も、……板倉も。 ちくりと何処かが痛んだ気がしたが、今度は幻痛だろう。 「……ぉっ、おい加納?」 「加納、大丈夫か?」 二人は慌てて駆け寄ってきて、僕の腕を両側から取った。周囲の目がちらほら向いている から、もし、もう一回突き飛ばそうとどちらかが考えたとしても、今度は目撃される。 僕だって気がつく。 毛羽立った織物に触るような不快感が、石段に同じ様に当たった手に残っている。 OBの一人と話していた教授が、ほとんど間をおかずに少し離れた位置で助教授が振り向 いた。 「どうかしたのか」 板倉に、栗橋に、そして僕に追求するような眼差しが向けられる。 「加納が、階段で―――」 「転びました」 二人はそう言うと、僕が下まで降りるまでぴったりとくっついて来た。教授は二度ほど こちらを見つつ先に下まで降り、手近な松の根方まで来ると振り向いて待っている。 何だか連行される気分でそこまでゆくと、二人は僕からようやっと手を離した。 「まだ、貧血か」 僕は、どんな表情をして何と言ってやろうかと思ったが、結局苦笑を選択した。 「通行人の荷物が当たったみたいです。足が滑って」 大嘘だ。肩甲骨の下に当たった感触は、離れて二つ。バランスを崩させるほどのその衝撃 を何が生み出したか、僕にはわかる。 誰かが両腕を伸ばして、僕を背後から突き飛ばしたのだ。 本当に通行人の可能性もなくはないが、一番身近にいたのは栗橋と板倉の二人。 動機は……探せば幾らでもあるだろう。きっと。 僕が教授の元にいるそれだけでも、突き飛ばすには足りるかもしれない。 「寒いからと言って、気を抜かないように」 教授は僕の言葉をそのまま受け取ったのかどうか分からないが、そうとだけ言うと、僕の 背中の中心に片手を当てた。 「先に行ってもらおうか。一々後ろから雪崩れを気にしていたのでは適わない」 教授の周囲にいた面々は笑ったが、僕は笑えなかった。 何故か板倉と、栗橋も笑わなかった。 とんでもない初詣になった苦さと、僕の認識の甘さを感じながら、僕は一度だけ石段を振 り仰いだ。 開がいたら、犯人を見ていたかもしれないと希望を持ったのだが、それらしい姿は見当た らない。 携帯を弄ろうにも教授の視線が怖くて、僕はこの小さな事件を後回しにした。 教授にも話さなかったのは、板倉さえも疑う事態が生じたからだ。 僕は、友人さえ疑った自分を何処かで恥じたのだった。 |
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