UnderAge2


 それから、約半月後。
シングルとダブル、それぞれ一着ずつ仮縫いの段階に入り、圭吾は夜久に送られて、小松の店へと向かった。
マスコミに名前こそ出さないが、小松の仕立てるスーツは相当の上物であるらしい。
スーツ一着がひと月以上かかって当たり前の世界には、夜久はともかく圭吾は無縁であると思っていた。
 今日は間に合わせにと小松の元弟子が経営する店で買った吊るしのスーツを着ている。
それだって値札はそこらのスーツよりも高価で、圭吾は今までと違う『仕事』の重みを、まだ着せられている感じの抜けないワイシャツ1枚から感じ取っていた。
新しい革靴、まだそう使うことはないだろう鞄、少しずつ買うものはどれも圭吾の思ってもいなかったもので、自分のものとしてそぐわない。
これが肌に馴染む日は、そう遠くないのだろうか。
助手席から、顔を左に向けて夜久にそっと視線を当てる。
半月前に店で試着として当てた上着は、重いような軽いような、不思議な心地がした。
上質の上着、それに見合う仕事を覚えること。
夜久はそれだけの期待を、自分に寄せてくれている。
生きる糧の全てを男に握られ、身体を抱きこまれてどんなに情けない思いをしようとも、語られない男の言葉を感じるようで、嬉しい。
信頼に見合う男になろう。
事故に遭った時の苦痛と落ちこみから、圭吾は明るい方向へ物事を考えることがなかなか出来なかった。夜久の取った方法は必ずしも癒しとは言えなかったけれど、誰かの傍にいて、必要とされている事実は少しずつ圭吾を元の、前向きな姿勢に戻してくれる。
 以前車を停めた辺りで、夜久は圭吾に降りるように言った。
「私はこれから、少し寄る所がある。仮縫いが終わる頃にはここらにいる」
圭吾は素直に頷き、周囲に気を付けながら助手席を降りて歩道へと回った。
ドライバーズ・グローブをしてステアリングを握った男の逞しい手が、昨日は自分の身体を完全に操縦していたのを思い出し、ちょっとだけ赤くなって手を振る。
それをどう思い違いしたのか、ウィンドウが少し開いた。
「風邪を引くなよ」
「はい」
気遣ってくれていると感じる瞬間、胸はふんわりと少し早い春の気配を感じる。
再び閉じるウィンドウに隔てられるようで、一緒ではない寂しさのようなものも感じたけれど、そんなことでと内心小さく圭吾は自分自身を叱った。
 何時もの、心地よい音を立てて走り去るマセラッティを見送っていると、小松の店近くの路地から1台のバイクを押して男が現れた。
バイクには、圭吾は正直良い印象を持っていない。
単車は昔はそう嫌いではなかったのだが、事故を起こした原因が、前方不注意で飛び出したバイクにあるため、どうも前ほどに好きだと思えなくなってしまったのだ。
しかし、これには目を見張る。
夜久のマセラッティ同様、そのバイクはこの辺りには似つかわしくないものであった。
ドゥカティだ。明らかに大型の、黒い車体は独特のシートが高くフットペグが低い、目立ちまくりなデザインを強調していた。
もしかするとモンスターと呼ばれる種類だろうか。
押している男の顔は、ヘルメットに隠れて分からない。しかし体つきからするとまだ十分に若く、三十を越えているかどうか、と圭吾でさえ思うような張りが、車体と同じ黒の皮のライダースーツから溢れんばかりだった。
 と、その後ろから、
「ま、待ってくださいよっっ」
これは圭吾と同じ年頃の少年が走り出てきて、その背中に追いすがる。
「送ってってくれないんすか?」
「馬鹿が、あそこで大騒ぎしてどうする」
ヘルメットごしの声は、若くて気障そうで、それでもバイクに似合っていた。
「俺、そんなつもりじゃなくって、だからあの……」
ツンツンに整髪料で固めた髪型の少年は、縋るような目をした。
捨てられた子犬みたいな顔とは、こういう表情を指すのかもしれないと遠目にも思われる。
「戻ったらボスにお目玉だからな。覚悟しておけよ」
「あああ、もう梅干も蹴りも嫌っすよぉ」
泣きつきながらも、少年は男の差し出したヘルメットを受け取り、すぽりと被る。
タンデムした二人は、やっぱりここらでは騒音としか聞こえないような、重厚な唸りを立てて道路を走り去っていった。
「……なんだったんだろ、あれ」
 ここらは小松の店みたいに、変わり者の来る所なんだろうか。
考えていても仕方ないので、圭吾は黒いバイクが完全に消え去るまで見送り、二人が出てきた路地へと向かう。
静まり帰ったその道は、前回は気づけなかった寒椿がとても綺麗だった。


 夜久が再びマセラッティを減速させたのは、圭吾が降りた辺りから車で30分ほどのとある建物の近くである。
外見はオフィスビルのようにも思われるが、外に張られているタイルは小奇麗で明るい。
高層マンションとビル街の入り混じるこの地域では、さして珍しくもないつくりとも言えるかもしれない。
案内を省ききったような入り口に、迷い込むものは少ない。
 もっともエントランスから入ったとしても、無人と見える受付とその近くにカードリーダーがあって常人では入れないと分かるだけのことだ。
地下駐車場らしき薄暗いスロープの入り口は『関係者以外立ち入り禁止』となっているが、夜久は躊躇うことなくそこへ車を乗り入れた。
入ってすぐの場所にあるモニターが、灰色の画面から息を吹き返す。
近くにカメラの瞬きを感じながら、夜久は上着の内ポケットからプラスティックのカードを取り出して、窓を半分開けた。
カードを近くの機械にかざして2秒すると、ピーッ、という電子音と共に、前のシャッターが開き始める。
マセラッティが潜りぬけた途端、その灰色の金属の壁は降りてきて、再び外界と建物内部を切り離した。
厳重な態勢を、大袈裟だと思うものは少ない。
 その証拠に、どうだろう。
三十台ほどが停まれる地下駐車場にあるのは、フェラーリ、ベンツ、ベントレー。下手に表に置けば、身包み剥がされて売り飛ばされそうな高級外車ばかりだ。
シーマやマジェスタ、ウィンダムのような国産車もあるが、見るからに特注品である。
いつもの駐車スペースにマセラッティを滑りこませ、寸分の狂いもなく駐車を終えた夜久は、開いたドアから流れこんできた空気の冷たさにコートを纏うことにした。前は閉じない。
躊躇わず、スタッフ専用のような無味乾燥な外見をしたドアを開ける。
ここには三つ扉があるが、一つはダミールート、もう一つはフェイクで壁にぶつかることになる。
用心深い、いや深すぎると言われるかもしれないが、ここを嗅ぎつけてきたマスコミもあって、限られた人間のための空間の維持は難しいのだとメンバーは溜息をついた。
しかし目下の所、この建物が何の為の施設なのか、そして外部・内部構造ともにどうなっているのかを知るものは関係者だけである。
夜久はその数少ない一人だった。
エレベータホールもあるが、今回の目的は違うので階段を使うことにする。
カツカツと靴音をさせつつ昇るうち、その音も消えた。途中から深い色合いの布が階段に張られていて、余計な足音や水分を持ち込まないようになっているのだ。
階数は書かれていないが、良く使われていると見えるドアを開くと、目的地だった。
一瞬無人と見えたエントランス部分を見渡すと、左手で動きがあった。
自分以外の人影が、忽然と出現したようで夜久は目を眇める。
 エントランスの黒と白の天然石のタイル。
佇むのはその石から彫り上げられたような人物だった。
影さえなければ、本物の人を模した美術品のように思っただろう。
体つきは均整が取れてはいるが、割と平均的な日本人の青年だ。
慶事だったのかディレクターズスーツを身に纏い、上着から、ネクタイでさえ黒と白、モノトーンの世界に封じられたような青年は、コートを脱ぐ時に伏せていた目をさり気なく上げる。
目もまた漆黒。白い顔立ちを整える髪形も同じ深淵の黒。
弧を描く唇でさえ山水画の様に黒で描かれているような気がする。
だのに、この黒は何だろう。
磨き上げられた黒玉のような、体温を余り持たぬような冷たい色だ。
エントランスの照明より眩い、深雪の只中に立っていても見分けのつきそうな肌。
異性でも羨ましがりそうな光沢は、しかしただ生白いだけではない。
 一歩動いただけで、艶が滲み、青年が纏う世界は不可思議なコントラストを見せる。
無表情と見える頭が少しもたげられるだけで、男の持つ矜持が、近寄りがたい、同時に人の目を惹かずにおかない光源となっているようだ。
それは、磨きぬかれた細工が、元は敵を貫く象牙であったことを思い出させるような剣呑さも孕んでいる。
 夜久は、この男を良く知っていた。
笑みは美しいのに滅多に見せないことを。
冷たい、雪の女王のような態度が、誰の前でなら和らぐのかも。
珍しく口元だけとは言え愛想らしきものを見せる相手がこの時間に中から出てきた所からすると、と重厚な扉を見遣る。
目的の男は、今日は不在の様子だ。
「やあ」
含む所があろう声音に、肩を竦めて夜久は踵を返すと階段へと向かった。
「またな」
「ここで、回れ右もないだろう」
声には狼狽より苛立ちが大きかった。
「丁度よい所で出会ったことだし。つもる話でも」
「特にない」
 青年の唇に僅か赤みが増した。すげない態度は夜久の平時のものと知っていても、一言で切られるのは我慢がならないためだろう。
「随分だね、クリスマスにも来てくれたのに挨拶なしで」
そうだったか、と惚ける暇も与えず、たん、と靴の踵が鳴る。振り向けば、青年は半歩だけ踏み出してこちらを手招いていた。
「しかも、『彼』を連れてきていたんだろう?」
眉一つ動かさなかったが、夜久は内心面白くなかった。
この男があの店にいたとも、圭吾に興味を持つとも思わなかったのだ。
てっきり自分の相手と塒で縺れ合っているものと決めつけていた。
「一言伝えてくれれば、挨拶くらいさせてもらったのに」
そう言って、青年は重々しい樫の扉についている、大きなノッカーを鳴らした。
青年が出たばかりだったためか、ゆったりと静かに扉は開く。
そこへ半身を滑りこませるようにして、もう一度青年は手招いた。
「折角のご入来だ。少しだけ話さないか。オーナーは間に合わないだろうけど」
僅かばかり恨む響きが、最後の言葉にあった。
ここで知らんふりするのは余りに無謀だと、夜久は半ば諦めて扉に向かう。保持されたそこを潜れば、涼しい顔の青年がコートを制服を着た男に渡し、男が夜久を認めて頭を下げるのが見えた。
「お久しぶりです、夜久様。『オルビット』へようこそ」
「風花氏の付き合いでな。気は使わないでくれ」
 入江と言うフロアー担当の男にそれだけを言うと、夜久は自分もコートを脱いだ。
差し出してくる手にはかけず自分で持っていると、入江は無理に受け取ろうとはせずまた一礼して奥に向かう。
メンバーの性格を知悉していながら押しつけがましくない。
いつ来ても、ここのスタッフは空気のように自然に動く、と感心しながら見送っていると小さな咳払いが聞こえる。
 表情は乏しそうに作っているのに、青年―――風花澄(かざはな とおる)―――の眼差しは期待に輝きを増していた。
最初に知った時には、こんなふざけた苗字が本当にあるのかと夜久は思ったものだ。
凭れかかるカウンターに片手を滑らせながら、風花は少し間を作って問いを発した。
「また、連れてこないのか」
「別に」
顔と同じように白い指先が、とんとんとカウンターを叩く。
「どうして。あちこち行くんだろう?噂だけは卯月医師から聞くけれど、実際彼を知っているのは一人だけだなんて、随分な出し惜しみじゃないか」
不在のオーナーを、夜久は無言で罵った。風花もそうだろう。
パートナーに会いに来たら、週末だと言うのに不在と来ている。
だから久々に出くわしたことを口実に、自分に絡んでくるのだ。
「何れ、また」
「だからいつ」
重ねて、風花は我侭な自分を承知で問う。誰も正面切っては言わないものの、この男に奉られている渾名は『奥方』『マクベス夫人』など、権高さを示すものばかりだ。
「さて、今年から仕事なものでな。準備が終わり次第、というところか」
これでも夜久にはかなりの譲歩だった。
それは風花も充分に分かっているはずだが、眉を薄く彩る苛立ちが、それでは納得できないと告げている。
「それなら、今の方が却って時間を取れるんじゃないか」
それでも声だけは快活に装い、磨きぬかれたカウンターの模様を辿るようにして、姿勢を真っ直ぐに引き戻す。
命令に慣れた人間の、精一杯の提案と見せた要求が言葉になった。
「今度の週末にでも連れておいでよ、『店』にさ」
予約を入れよう、と既に決めたような顔つきでいる風花の言うなりになる気などない。
「生憎、塞がっていてな」
格別どうという予定もないがそう言ってやると、真偽を見ぬいたかどうかはともかく彼は拒まれていることに気づいたようだった。
「隠すことないだろう、今更」
 まだ快活さを残した声に、冬らしい冷えが混じる。
「皆して、会いたがっているんだよ。噂のシンデレラに、さ」
あれがそんな奴か、と吐き捨てるには夜久にもプライドがありすぎる。
圭吾がたいしたことのない相手なら、そも手元に置いたりなどしない。
夜久を知っている男達は、だから圭吾に興味津々なのだ。
本人が聞いたら、訳も分からず目を丸くするだけだろう。
「それじゃ、此処にはいつ」
それだけは、まだ拒む理由がある。
「生憎と、な。まだ青二才だ。ここの基準には満たない」
 オルビットは、曲がりなりにも紳士倶楽部だ。
正式な会員になるには、二十一以上の年齢になった上で、推挙する会員が二度以上連れてこなければならない。
オーナーをはじめとするメンバーが、揃って三十前後であることから、倶楽部としては相当に若い年齢制限になっている。
他にも色々の審査があり、もちろん倶楽部である以上秘密厳守を約させられている。
一時の見世物になってやるつもりも、圭吾を珍獣のようにする気も毛頭ない。
これなら引き下がるだろうと思ったが、風花はとことん意地になっていた。
「準会員なら、構わないだろう」
「おい」
朱を増した唇から零れた言葉にしまったと思い、回避の理由を探す間返答が遅れた。
 確かに、準会員は二十歳であれば会員より緩やかな審査を経てなることも出来る。
しかし会則にあるとはいえ、夜久も忘れてしまうくらい適用されにくい。
会員、準会員ともに若くても風花のように二十代後半、上限はないが壮年は少ない。
「そこまでして―――」
「構わない、私が出すよ、招待状」
良いことを思いついた、とばかりに風花は頷く。
金額の多寡を言うわけでもないが、オルビットに入るにはそれなりの手続きが要る。
会い損ねたからと言って、そこまでするものではないと言おうとすると。
「ああ、オーナーに頼んだ方がよいかな」
笑い飛ばせないことを言われて、夜久は流石に不機嫌さを表に出した。
「公私混同するな」
「とんでもない。将来有望なんだろう?会ってみたいのは、皆同じだよ」
皆、という部分が強調されて、風花だけの興味ではないと分かって鬱陶しい。
卯月は軽く話をしただけだろうが、特定の相手がいない夜久が手放さない少年がいるという噂は、もう会員の間には伝播しているのだろう。
風花が大義名分を整えれば、オーナーはめくら判を押す。
夜久の眉間の皺が増えるのと反比例して、風花の顔は晴れ晴れとしてくる。
「数名、募っても……」
「ともあれ。まだあれは未成年だ」
今日明日で連れてこられるものではない。
そう言うと、風花ももう押せないと思ったらしく、諦め顔になった。
「そう、残念だね」
矛先を向けられるのはそろそろお終いらしい。
他の話題などで足止めされる前に、早めだが圭吾を拾いに行くかと夜久は切り上げにかかった。
「また、何れな」
 入江を呼ぶのもと扉に手をかけ、半分まで開いた時。
「ああ、そうだ。『店』の食事券、いつ頃贈ればよいのかな」
ふと思いついたように言われて、思わず返事をしてしまった。
「来月の中旬過ぎで……」
言いさして、夜久は動きを止める。
風花の表情は見たくもなかった。しかし、見なくても分かる時は分かるもので。
「そう。じゃ、その頃に」
してやったりと言わんばかりの声が、肩の辺りを甘く押す。
「楽しみにしているよ」
憤然と、重い扉を壁に激突させかねない勢いで夜久は押しやり、今度こそ青年から遠ざかった。
夜久は顧客だから、風花の『店』は年に一度食事券をサービスとして送って寄越す。
所謂、誕生日のプレゼントのようなものだ。
夜久は秋口の適当な日付を書いておいているから、今更聞く必要はない。
 態々聞いてきたのは、夜久の誕生日ではない。
夜久と一緒に来て、顧客名簿には未だ掲載されていない圭吾の分だ。
してやられた。
しかも聞かれたことの意味は理解していて、うっかりと答えてしまったのだ。
風花の意図する所に気づくのだけが遅れたから、正直に。
これで春にも連れて行かなかったら、あの青年の性格だ。矢のような催促は勿論のこと、下手をすれば本当にオーナー名義で招待状を送って寄越しかねない。
ここを訪れるのを今日にするのではなかった、と夜久は珍しくかなりの後悔を表情に隠せないまま、階段を下って駐車場へと向かった。


 夜久を見送ったあと、風花はラウンジ、バーと通り過ぎてエレベーターホールへと向かった。
二基あるエレベーターのうち、奥の、数字キーから知らされている番号をプッシュする。
程なく降りてきたエレベーターに乗り込み、ドアが閉まると彼はゆったりと壁に凭れかかった。
かそけき溜息が、一応は男らしさを保った喉から漏れる。
予め指定されたフロアーへ運ばれる間に、僅かな高揚感は消え去り、ドアから歩み出た風花は、無機質なほどの表情を保って、自室のドアを開いた。
宛がわれている自室のドアを閉めた時、漸く内心の恨みが形になった。
「言っておいたのに」
表で夜久に対して見せていた鋭い表情と声はどこに行ったのかと思うほど、呟きは柔らかく、拗ねているような舌足らずささえ感じ取れた。
「行けって言ったくせに」
 自分の余裕のなさは分かっている。
今日は高校時代風花にしては仲がよかった友人の結婚式だった。
幸せな花婿花嫁を見て、そうした喜びは今更つかめない自分を嫌でも思い知る瞬間が嫌だから断ろうと思った。
 しかし、それを口にする前に、パートナーは、出てやるようにと諭したのだ。
自分達が普通と違うからといって、不幸せではないのならそれで良いではないか、と。
騒いだらあの薄い色の目が曇る。そう思ったから頷いた。
髪を梳く指の感触はまだ生々しい。
 今更、二人の関係を恥じたりはしない。
肌身を重ねて後戻りできない仲になることを望んだのは、風花自身だった。
辛いことを言われて、悩んで、その痛みと引き換えにしても欲しい相手と、叶う限りの時間を共にしている。
自分も仕事をしているから、突発的な用事があれば行く先知れぬ遠出も仕方がない。
 それでも、帰ってきたのに相手がいない部屋は、空調が保たれていてもひどく寒く、切ない。
クローゼットを開け、いささか乱暴に礼服を脱いでハンガーにかける。
今日戻ってこなかったら入れてやらないぞ、とますます意固地になる気持ちは温い風呂でも緩ませられるかどうか、確信が持てなかった。


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