| Paradox3 |
| 暦の上のみ先走り、春と呼ぶ季節が始まる。 それを待ちかねたかのように招待状はきっちり二通送られてきた。 何もこんな仰々しい真似をしなくても、と夜久は思うのだが、圭吾にとってはそうではないらしい。 しかも呼ばれた前日に半休をほしいといわれた。 「何をするんだ」 「準備だよ」 作法は一通り教わって形ばかりは問題ないと言われたから、この俄か講師が何を慌てているのかが分からない。 主賓側とも電話でやり取りをしており、回を重ねるごとに親密さが増している様子だ。 困った様子でいたのはどこの誰だ、と拳を固めたくなる。 しかし、放り出されているのは浅井も同じらしく、この前久々に納車の後倶楽部に立ち寄ったらば、『大きな黒猫』ではなく、ロシアンブルーと遊んでいた。 灰色の猫だからグリ(gris)とフランス風に呼ばれる雌猫は伍堂がつれてきて、客には割と愛想が良い。 こちらにも構えと前足を伸ばしてくるのに付き合いつつ交わした会話では、風花澄は余り大事にならぬように、しかしそれなりにと、茶会の準備に余念がないらしい。 門外漢二人には、そうしたものを嗜む意味合いが余り分からない。 準会員に、という申し出を固辞している圭吾を、どうにか身近に、という思惑は分かるものの。 だしにされている気分が抜けない二人は、午後一杯猫と戯れた挙句昼食を忘れ、新倉にお説教を貰うこととなった。 「どうせ手土産とやらは予約済みだろう?」 わざわざそんなものを持ってゆくのもと思ったが、本式の茶会では座席料を熨斗袋に入れるのだの、ややこしいものらしい。 気楽に喫するというのは嘘っぱちだろう、と、陰で罵ったが、仕方がない。 「スーツとか、プレス戻ってくるから」 茶室では正座をするから、スーツでは動きが妨げられやすい。せめて裾や袖口にゆとりがあるものを、と言われて先週これでよいと出しておいたが。 そこまですることか、と言いたげな表情が分かったのだろう。 「茶室なんていうからさ、これが、略手前なら、俺も気が楽なんだけど」 「何を略するんだ」 「うーん、茶室で点てないとか、道具が揃ってないとか、条件が整ってない時、かな」 そんなんだったら本当に楽だったよな、と言われてつく溜息が、久々に二人が完全に一致した瞬間だった。 ジルウェットの従業員は、滅多に見られない光景に困惑を隠しつつ仕事をしていた。 「―――そこまでしなくても良かったのに」 風花澄は、「前礼」と書かれた熨斗袋を前に苦笑している。 「気軽に考えてくれていいよ、離れは祖父のものだけど、本人は隠居から程遠いし、多分いないから」 というのか、実は祖父の冬海(とうみ)には言っていない。 祖父ながらエネルギーが有り余っていて、孫の友人となると非常にやかましいので、今回は実家の者に手を回して、祖父が気づかなさそうな日を選んであるのだ。 点前を始めた後にずかずかやってくるような図々しさは流石にないだろう。 気軽にやりたいから、祖父には悪いがこうしたのだ。 それでも目の前の青年は、最年少の自分が正客だから、やはり緊張したらしい。 前礼は茶事に出席する時の礼儀として、通常は相手の家へ持参するものだが、祖父の家である上に、相手の住所までいきなり押しかけては、と圭吾はやむを得ず、電話で了承をもらってから、職場であるジルウェットに訪れた。 圭吾の目上に対する丁重さは、茶道で培われたものだろう。 それも、教えた相手は相当に造詣が深い、と澄は見て取っている。 二十歳そこそこで講師の資格を貰えることはそうはない。澄は祖父の命で幼い頃より嗜まされたが、長くて二年程度ごとに繰りあがるたび、師への礼も欠かせず、道具や着物をそろえることも必要となってくる。普通の家ではそこまで出してやれない。 流派にはそう詳しくないのだが、恐らく圭吾の親戚というのはそこの家元だろう。 近親なら、早いうちから学ぶことで引き立てられてもおかしくはないからだ。 家を出ているから、と至らぬ点あることを前もって電話で聞いている。自分を上と立ててくる圭吾は可愛いが、茶事のことで話しをすると、ひょっとして語るよりも遥かに色々と知っているのでは、と内心疑うことが数度あった。 ただ、圭吾は自分の事情となると総じて口が重い。余り刺激して引かれたくない澄としては、こうして茶事に引っ張り出しでもして、もう少し打ち解けてもらおうと遠まわしの努力をするほかはなかった。 「残り二人は、長いことじっとしてられないなら追い出してもいいから」 大人しいたちでもないだろうしね、と笑いながら言うと、圭吾も小さく吹きだす。 「そう言えば、ソックスなんで白に履きかえるんだって何度も言われましたよ」 「ああ、それ私も言われた」 着物なら白足袋なのだが、スーツではそうもゆかない。せめてもの礼儀だと言っても、不恰好に思えてならない者もいるようだ。 「時々あの二人、考え方がそっくりだよね」 一頻り話しをして、後礼は要らないから、と圭吾に念を押しつつ、澄は茶事が愉しいものになるようにと願った。 二十四節季の一つ、雨水。この日には雪や氷も溶け、天にのぼって雨となるという。 正客として背後に一回り年上を二人も従え――― 「お前本当に妙なことを考えてはいないだろうな?」 「今回は私のではなく、澄の計画したことだ」 ―――と言っていいものだろうか。 あんな状態でなければ断れたかも、と、やはりまだ気が重い。 その空気を察したのか、二人は勝手な会話を止めて、黙って圭吾の後に続く。 沈黙も、後ろの男たちも重たい。圭吾は茶事にだけ集中することにした。 一度を無事に務めれば、後日の誘いはどうにかして断れる。 広い駐車場から玄関に回ると、中年の男性が控えていた。 挨拶の言葉を、頭の中で復唱していると、 「……古河さまでいらっしゃいますか」 男の方から声をかけてくれる。 「はい」 挨拶を続けるいとまもなく、 「こちらへ。ご案内を」 小腰を屈めた後男はそれ以上の挨拶はせず、すたすたと一方へ向かう。 茶事の時は、茶室に入る前は長々と挨拶はしない。主人と客も迎えつけでの挨拶は無言でおこない、茶室で初めて言葉を交わすのだ。 本家の敷地はそれなりに広いし、前礼が半端なものとなったから迎えを寄越してくれたのだろう。 後について広い庭を歩くうち、母屋から遠ざかる。 庭といっても林のように木が植えられた場所もあり、晴れた中にも湿り気のある空気を横切れば、そのうちに枝の間に間に、白や赤の蕾が見えてくる。 竹の垣根を見た時に、有名な茶室を模した造りではないかと、これだけは多少おぼろげな記憶を圭吾は探った。 全てを覚えきっているかと言われると、忘れたものも多い。 やがて、男は玄関の手前で停止した。 打ち水はしてあるが、茶事の開始を示す手がかりは開いていない。 いま少し、準備にかかるのだろう。 「それでは、私はこれにて」 低めた男の声に、有難うございます、と小さく返す。 戻って行く男の姿が木々の向こうにぼやけかかる頃、中で物音がした。 押し殺した話し声も始まり、やがて言い合いとなるまでそうはかからなかった。 「な……っ」 今日はいないはず、いてもここには来ないはずの祖父の姿に、水屋を出ようとしていた澄は絶句した。 「何で、お爺様が……」 「澄の友達が見たくてのう」 見たくて、と言った割に祖父の冬海(とうみ)は十徳まで身につけている。 茶人としての修行を積んだ証だが、この席に呼ばれてはいない。 呼ばれていない席にのこのこやってくる理由は分かっている。 報告せず、茶室だけ借りようとしたのがばれたからだ。面白くないのだ。 とはいえ、澄にしても理由はある。 祖父の格が上だから、圭吾はともかく初心者たちは気後れするだろう。 それに祖父は、澄の一番の『友人』である浅井には絡む。 恋人の一人も出来ないのは、澄が友人と遊び歩いているからだと思うらしい。 その恋人そのものです、などと言ったが最後、嵐になるに違いない。そう思うから澄は黙っているのだが、それはさておいて。 「嘘ですね」 嫌がらせに決まっているのだ。 人の良い顔をしているが、祖父の性格は分かっている。 それが自分にも遺伝していることを指摘されると正直むっとする澄である。 「嘘とはなんじゃ、祖父を疑うのかの?」 「顔だけでしたら、帰りに玄関ででもご覧になれるでしょう」 倶楽部などで見せているよそ行きの顔を作ると、 「何を言うか。齢を取ると、若人との会話がなくてのう。実の孫は冷たいし、このような機会でもなければ話しもできん」 日頃の無沙汰を責めてくる。 「私のほかにも孫はいるでしょう?一緒に暮らしていてまだ話したりないとでも仰るのですか?」 澄に兄弟はいないが、従兄姉は大勢いる。祖父の跡は彼らが継ぐのだが。 「澄は冷たいのぅ……学生やったとたんに家を出るだの、友達を呼んで茶事と言うから末席にでもと思えば、年寄はそうか、醜いかダサいかつまらんか……」 祖父は袖を目元に当てて嘘泣きをする。 最早、茶を喫するもへったくれもない。 正月も、浅井が挨拶に来たのを良いことに三が日そこそこで実家から逃げたのを未だに根に持っているのだ。そういう祖父である。 「お爺様、嘘泣きしても無駄ですよ。みっともない。招かれてもいない席に出て行くのは恥ではないんですか?」 「うっうっうっ。何じゃナンじゃ、小さい時から手塩にかけて育てた、この爺を邪険に扱いおって。滴(るい)が聞いたら何と言うか……」 事故死した母親の名前まで出してこられた。が、耐えた。 「だからって断りもなしに突然いるのはどうかと思いますよ?お爺様」 笑顔と笑顔が、火花を散らす様にぶつかっている。 「それなら、改めて招待してはもらえるのかの?」 「さぁ?まとまって休めるのはそうそうありませんから確約はできませんね」 放電でも起こりそうな雰囲気になっているが、外の客のことは二人ともまだ気にしていない。手がかりが開いていないからだ。 「今日はその休みなんじゃろうが?ならば、久々にこの爺も混ぜてくれるな」 「いやです」 うっかり譲歩して捕まってはたまらない。泊れだの何だのと煩い祖父に、圭吾が遠慮してしまったら茶事は気まずいものになる。 「何じゃなんじゃ、年寄りが頭を下げておるのにその態度は!」 二人の眉が吊りあがるのはほぼ同時であった。 「勝手にそこにいるご自分のことは棚上げですか?」 「わしに隠しごとをして、一体何をしようとしておったんじゃ?茶会なら別にわしがおっても構わんのに、こそこそと」 確かに祖父を避けようとしていたが、犯罪の様に言われてはたまらない。 「別に普通にお茶を飲むだけですよ?それに初めてのお客様がいらっしゃる場にわざわざお出ましになることもないでしょう?」 いつの間にか、本来の目的と遠い怒鳴り合いになっている二人を憚る様に、小さく声がした。 「あ、あの……、何だかお邪魔だと……本日は失礼します」 さっ、と澄は赤くなり、ついで蒼ざめた。 ここで帰すと、非礼この上ないし、後日は絶対に有り得ない。 圭吾は固辞し、夜久は一蹴するだろう。 浅井も面倒くさがって、覚えたほうが良い作法も覚えてくれないに違いない。 「え?ちょっと待って、折角きたのに!」 祖父は、と見ると、知らん顔をしている。 「わかったよ、わかりました!おじい様もどうぞ」 両方を入れて、何もなかったようにやるしかない。 台無しどころではないのだが、茶事として一回でも成立させないと気が済まなくなった澄は、結局祖父を入れることとした。 途端に、 「ああ、少年待ちなさい。こんな我侭な孫と友人づきあいしてくれているあり難いお友達に、祖父としては一言礼が言いたかっただけなんじゃよ。一服して行きなさい」 声の張りから年下と判断したのか、祖父は、穏やかで信頼感溢れるとされる物言いに変わって見えない向こうへ声をかける。 如何なる時でも余裕の態度を見せる点では、この二人は非常に良く似ている。 「誰がさせているんですか、誰が……」 と呟くのが、せめてもの孫の抵抗だった。 迎えつけでの無言の挨拶の時、澄の傍らにいる老人は、親しみの持てる笑顔で迎えてくれた。 ほっとしたにはしたが、何故だか、スニーカーと間違って下駄に片足を突っ込んだような妙な感覚も同時にあって、圭吾は内心訝った。 待合に戻り、手水を使い、にじり口を入って、床の間を拝見。 『江南一枝春』の掛け軸に、花は紅梅、道具畳にある道具も、初めて茶の湯に接する人間にも分かりやすそうな、きれいなものだ。 最後に入った夜久が、圭吾に聞いた作法に従い、にじり口を音を立てて閉めた。 澄と老人が入ってきたが、あくまで、この場の亭主は澄である。 圭吾は扇子を取りだし、澄の前にきっちりと手をついた。 「本日は、お心遣いいただき、有難うございます」 浅井も夜久も、同じ様に手をついて挨拶を述べる。 「どうぞ、初回だからとお気遣いなく。お楽になさってください」 澄は迷惑を謝するように、夜久と浅井に目線を向けた。 しかし祖父のほうは、何故だか圭吾に温顔を向けている。 妙な心持ちがしたが、どうにか堪えて次の段階に進もうとした時、老人の口が動いた。 「お父上はお元気かの?」 反射的に、圭吾は目を閉じた。 まさか。人違いであれば良いが。 「古河の坊、違ったかの?」 ―――来た。 目に一瞬痛みが走るほど、きつく瞑ってしまった。 誤魔化しようがない。 まだ夜久にも話していないのに、自分を知っている人間が先に出てきてしまった。 残りの三人は、一様に固まっている。それを無視して老人は続ける。 「陽和(よしかず)さんには暫くお会いしてないから、あの時の坊とは気づかなんだよ。この爺とは一度会っておるが、坊は小さくて忘れたか」 覚えていない。しかしその言葉で、妙な心持ちの謎が解けた。 父親の知り合いなら、挨拶した圭吾を覚えていてもおかしくない。 澄は、膝立ちになって口を薄く開いている。呼吸を忘れた様だ。 浅井は無表情だが、何も確認して来ない所を見ると、やはり驚いているのだろう。 不審なことはすぐさま確かめる男だと、短い付き合いながら分かる。 夜久のことは、見られなかった。 すぐ近くにいるのに、いきなり隔たったような気がしてしまう。 話すのを待っていたのかもしれないのに、圭吾からの打ち明けではなく、他人の口から通り一遍のことを聞かされたら、夜久はどう思うだろう。 「……あの」 「よいよい。そうか、古河の坊はこちらに来ておられたか、澄も知らせてくれれば良いものをな」 少し温かみの消えた顔、大人に向ける顔が、夜久のほうに向く。 「初めてお目にかかるの」 「夜久克征。以後お見知りおき願います」 声の静かさに在る強張りに、背筋が泡立つ。茶席でないなら、夜久は襟首掴んで圭吾を問い詰めにかかるのではないだろうか。 「ほう、名前は、孫から何度か聞いた気がするの」 少し間を置き、老人は口元に先ほどとは少し違う種類の笑みを刷いた。 「よう参られた。孫は友人が少ない、今後ともよしなに頼む」 一瞬だけ、目を動かして夜久の横顔を圭吾は見た。 顔は、営業の時によく見る、穏やかそうな表情をどうにか保っている。 どうにか、といった感じで澄が声を発した。 「……お爺様。古河くんと、お知り合いですか」 「お前は会わざったか。お父上は何度かいらしたことがある」 目を泳がせた澄が首を横に振り、改めて圭吾をまじまじと見つめる。 「婆様の在の、姻戚となるのかの。そこの長男が陽和さんじゃ」 こともなげに言う冬海老人の言葉に、孫である青年は目を瞬かせた。 血の繋がっていない親戚だと言われても、圭吾自身初耳だし実感もわかない。 それに、地方の小さな流派が、先ほど通りぬけてきた広々とした日本庭園を有する家と何らかの繋がりがあるとは思ってもいなかった。 しかし、老人の温和な笑顔と『父親』の名前は、何ら勘違いではないと示している。 「古河流は宗家を置かれぬが、先の楽しみなお子がおられる」 行く末、頼もしいことだの。 その言葉に、顔を伏せてしまう。 視界の隅に映った夜久の手が、扇を握っている。壊しこそしないものの、関節のあたりが白くなっている様子に、後の説明が面倒なものになることを圭吾は覚悟した。 型どおりにやれたとしても、茶事は散々なものだった。 三人とも、茶室の中では冬海老人の言葉以上に圭吾の事情に触れてこなかったことに、僅かな慰めを得る。 良く、手が震えずに済んだ。気持ちは初心者並に揺らいでいた様に思える。 茶を喫している間だけ、心の中にある水面の波立ちを静めていられた。 夜久は、余り圭吾を見てくれない。ゆっくりとした動きで、圭吾が伝えたとおりの作法に集中してくれているからだ、そう思うことにした。 内面に荒れ狂う嵐があったとしても、抑えておける男だと知っている。 ただ、夜久のタイミングは分からない。 理性やスタイルをかなぐり捨て、唐突に、放埓に抱かれたことは片手どころか両手両足でも数えられない程になっている。 箍が外れるのは何時なのか。最初の頃は恐怖でいっぱいで、却って男を刺激してしまったことも数回ある。 怖い、というのとは違うけれど、この気まずさは嫌だ。 夜久には、話すつもりでいたのだから。 ほんの少しタイミングがずれただけだ。それでも、怒っていたら。 茶事が終わり、挨拶を交わしながらも、近くにいて遠い存在の様になってしまった気がして圭吾は落ちつけずにいた。 風花老人の前に立っている以上は、表にそんな態度は出せないと必死に保ったが。 「どうぞ、これでお引取りを」 にじり口で澄と挨拶を交わした後、小さな戸で主客の世界は隔てられる。 茶事の終了だ。 後日の挨拶を除けば、もうややこしい決まりごとはない。 直接に家を知る人物からは離れられて、ほっと息を小さくついた。 途端、相手の視線が当てられて身が竦む。 無言の糾弾に包まれ、圭吾は面を伏せる。 「……夜久」 浅井が宥める様に名を呟いて、漸く男は前方へ顔を向けた。 終われば正客も何もない、と言わんばかりにさっさと歩き始める。 ついて歩く歩みを速めなければ、置いてゆかれてしまいそうだ。 林を歩き、通された入り口が見えかかった時、 「さて、夜久。私のほうは、今後断る理由がなくなったぞ」 浅井が殊更にのんびりと声をかけた。 「風花翁の存知より、となれば澄は今まで以上に推してくるだろうからな。私としては、信頼できる筋ならばかまうことはない」 「それがどうした」 倶楽部の会員の話だ。何もここで始めずとも、と圭吾は思ったが、素っ気無く返した夜久の様子に、怒りつづけているわけでもないのかと少し緊張が緩む。 「ケイは私のスタッフだし、断っているのも本人の判断だ。家がどうだか知らんが」 最後の言葉は吐き捨てる様で、また胸がざわめく。 「私には何の関係もない……」 「克征」 「夜久さんっ」 また、浅井が夜久を名前で呼んだ。 今度は痛む気さえしながらも、いつも通りに圭吾は夜久を呼ぶ。 「……何だ、ケイ」 浅井にではなく、自分に反応してくれた。それがわかっても、頭の中に言いたいことが氾濫して、すぐには言葉が出なかった。 「……俺は、俺は家を出てるし、……その。少なくとも、夜久さんに迷惑かけることはしないからっっ」 他人の邸宅で言い争いを始めるわけにも行かず、そう言うのが精一杯だ。 「そうか」 だから、素っ気無く片付けられて悔しかった。 唇を噛み締めそうになった圭吾の背を、浅井が押す。 「行こう」 表面上はいつもと変わりないまま、三者は来た道をたどって、駐車場へと向かっていった。 薄雲が次第に勝る淡い空色が、淡い梅の香が明日の雨に消されると告げている。 |
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